内頚動脈狭窄手術

6月10日(木))

 手術当日です。手術の正式名称は「頸動脈内膜剥離術」と呼ぶみたいです。

 6時に起きました。しばらくすると看護師さんが来て検温。36.6℃でした。血圧も測定しましたが、メモし忘れました。

 朝食は抜きで、手術後は個室からHCUに移動になると聞いているので、とりあえず洗顔後私物の整理をしました。

 7時に看護師さんが来て、点滴用の注射です。割と簡単に確保でき、点滴用の薬剤は「フィジオ」が点滴台にぶら下げられました。

 今この薬剤について調べてみたら「等張電解質輸液」と呼ばれるようで、効能は細胞外液の補給ということですが、何故これが必要なのかは不明です。

 ともあれ点滴に繋がれると、途端に歩いての移動が不便になります。しかも手術開始は8時と聞いていますので、それまでかなり暇です。

 7時半にラインを使って息子に連絡。息子は手術に立ち会ってもらう必要があるようで、8時の手術開始に間に合うように伝えてあります。

 すでに息子は起きていて、すでに自宅を出ていたみたい。このあたりも、もし身寄りがいない場合はどうするんだろうかというのが気になります。

 8時に個室出発ということでしたが、ちょっと遅れが出ているみたいで、実際に個室を出たのは8時半。

 息子はすでに到着していて、手術室への移動時にちょっと姿を見ることも出来ましたが、私の荷物を預けるぐらいしかできず、会話はほとんどなし。

 ただ気持の上では、「手術が失敗したら、息子の顔も二度と拝めないかも」という考えがチラッと頭の中をよぎり、慌てて「縁起でもない」と心の中で打ち消しました。

 手術室前で最後の確認。私自身の名前と生年月日を告げて、あとはアレルギー等の再確認。そしていよいよ手術室へ。

 狭いベッドに横になり、様々な器具の装着が始まります。もう1本点滴チューブが増やされました。更に鼻の部分に呼吸用のマスクみたいなものがかぶせられ、そこから気体が出てきます。

 たぶん最初の麻酔はこの気体の中に含まれているものと思われます。

 「それでは始めます」という言葉を聞いたかどうかの記憶はあまりないのですが、「麻酔をします」という言葉は聞いた覚えがあります。

 しかし「聞いたな」と感じたのはつかの間の出来事で、いきなり麻酔の世界に入り、後は全く記憶なし。

 その間に、気管には全身麻酔用のチューブが挿入され、局部には尿道カテーテルが入れられたのだと思います。

 その後担当医が首の頸部を10cmほど切開して手術開始。しかし当然ながら本人は麻酔でこん睡状態で、気が付いたら4〜5時間が経過。

 場所も手術室ではなく、すでにHCUに移動していました。最初に意識したのは全身に様々なチューブが繋がれていたこと。

 仰向け状態で、ほとんど身動きが出来ない状態。続いて苦しかったのが、全身麻酔で気管にチューブが挿入されていたため、そこで炎症が起き、ひっきりなしに痰を含んだ咳が出ること。

 しかし仰向け状態ですから、出てきた痰もしくは唾を処理するのが大変。飲み込もうとすると、頸部の手術跡に痛みが出ます。

 しょうがないので、看護師さんに頼んでティッシュを用意してもらい、そのティッシュに少しだけ横を向いて痰や唾を吐き出し続けました。

 さらに、足のふくらはぎには血栓防止用の器具が装着されているようで、ひっきりなしに自動的にふくらはぎの筋肉を締め付けて解放ということを繰り返しています。

 いわゆるエコノミー症候群と呼ばれる病気の予防処置だと思われますが、これが寝ている時も続きましたから、夜は本当にうつらうつらするだけでした。


HCUの様子


第3章 手術


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